―― 多数の決裁印が物語る「何とも言えない」という労基署の日常

1. 法違反の端緒に対する「何とも言えない」という対応

2022年8月15日、被災労働者は労働基準監督署の窓口(応対者:副署長)を訪れ、「業務に必要なものを自費で調達させられていた」「自分以外にも自己負担や不当な給与控除をされている者がいる」と、明確な法令違反の疑いを申告しました。 給与からの不当な控除や自費購入の強要は、労働基準法第24条(賃金全額払いの原則)等に直結する極めて重大な問題です。しかし、開示された公文書「20220815労基署相談票」には、副署長の対応として以下のように記録されています。

「これについては 監督署としては何とも言えないと伝えた」 「自分以外も自己負担や不当な給与控除をされている者がいるとの訴えがあったためこれについては情報として記録すると回答した」

ここには、客観的証拠の提示を求めたり、事実関係を調査したりといった、行政機関として当然果たすべきアクションが一切存在せず、自ら調査の扉を閉ざした事実が記録されています。

2. 厚労省本省の「通達(マニュアル)」との決定的な乖離

この対応は、厚生労働省本省が定めた厳格なルールに対する明確な違反(不作為)を構成します。 過去の「サングループ事件(障害を持つ労働者への労基法違反を行政が見逃し、国家賠償責任が認められた事件)」を受け、厚労省労働基準局長は全国の労働局に対し、以下の通達(平成15年基発第0408001号)を発出しています。

「申告はもとより相談、投書、報道等による情報であって、(中略) 労働基準法等関係法令違反の疑いがある場合には、これら情報に基づく監督指導を実施し、効果的手法を用いて事実関係の把握に努め、所要の措置を講じること」

法違反の疑いを示す具体的な情報提供に対し、立ち入り調査や関係者への聴取による「事実関係の把握」を一切行わず、「記録するだけ」で処理を完了させることは、国家賠償レベルの不作為を反省して作られた本省の基本ルールを、現場の責任者自らが踏みにじる行為に他なりません。

3. 多数の決裁印が示す「これが労基署の日常である」という恐怖

本件において最も深刻なのは、この相談票の上部決裁欄に、 署長をはじめとする複数の職員の決裁印(回覧印)が整然と押されている1 という事実です。 通常、本省の通達に真っ向から反する「調査義務の放棄(権限不行使)」が行われた場合、組織内の決裁プロセスで「なぜ調査しないのか」「事実確認をすべきではないか」と差し戻されるのが正常な行政の機能です。 しかし、この相談票は、誰の目にも明らかな「何とも言えない」「記録するだけ」という記載のまま、何の問題も指摘されることなく署長決裁まで通過しています。これはつまり、個人の怠慢や隠蔽の次元ではなく、 「労働者からのSOSに対して独自の調査を行わず、適当に理由をつけて処理を終結させることが、この署においては『適正かつ日常的な業務処理』として平然とまかり通っている」 という組織的病理を、公文書自らが証明していることを意味します。

結論:システムとして機能不全に陥った労働行政

「監督署としては何とも言えない」。この一言と、それに押された多数の決裁印は、日本の労働保護システムが現場レベルでいかに形骸化しているかを示す歴史的な記録です。 相手がどのような企業であれ、法違反の疑いに対して調査の第一歩すら踏み出さない対応が「組織の日常」として承認されている以上、そこに本来あるべき法の支配や労働者保護の実効性は存在していません。本記録は、特定の事案を超えて、現代の労働行政が抱える構造的な機能不全を社会に問うものです。

総務省データベースの答申書が証明する「完成された隠蔽の雛形」

Footnotes

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