―― なぜ会社は「傷病欠勤」の記録を消し、労災報告を遅滞させたのか

本件事案において、住友生命は、労働者から提出された診断書を突き返し、 「連続での傷病欠勤とならない」1 として退職処理を強行した。さらに、労働安全衛生法で定められた 労働者死傷病報告2 についても、1年以上にわたり提出を見合わせていた。

会社側はこれらを 「合意に基づく退職であり、労災の因果関係が不明であったため」3 と説明している。しかし、過去の他社労働事件の歴史的時系列や、「障害者雇用」という本件事案の特殊性、そして会社自らが残した客観的文書を照らし合わせると、これらの処理が単なる事務的ミスではなく、「企業にとって致命的な社会的・経営的リスクを回避するために、意図的に法適用の前提事実を排除した」構造的な措置であったことが論理的に証明される。

また、被災者は『期間の定めのない労働契約(無期雇用)』を締結していた。有期雇用労働者の期間満了による雇止め等とは異なり、無期雇用労働者に対する私傷病を理由とした退職処理は、事後的にそれが業務起因性(労災)と認定された場合、労働基準法第19条の解雇制限違反の直撃を不可避的に受けることとなる。 したがって、会社側がこの重大なコンプライアンス違反及び助成金の不支給リスクを回避するためには、労働者の申し出(診断書)を排除し、会社主導で『年次有給休暇の取得による退職』という外形に書き換えることで、法適用の要件である『休業の事実』そのものを消滅させる以外に道はなかったと論理的に推認されるのである。

1. 三菱電機事件が確立した「労務の常識」と巨大企業の認知

労働基準法第19条は、業務上の傷病による療養休業期間中の解雇を厳格に禁止している。この解雇制限の適用をめぐり、平成28年(2016年)に社会問題となったのが 「三菱電機における休職期間満了に伴う解雇(退職)」事案である。 同事件により、「私傷病として退職処理を進めたとしても、事後的に労災と認定されれば労基法19条違反の重大なリスクが顕在化する」という事実が実務上確立し、労務の専門家たちが広く一般企業へ警鐘を鳴らすようになった。

本件において住友生命が退職処理を強行したのは、この三菱電機事件から「5年後」の令和3年(2021年)である。高度な法務機能とコンプライアンス体制を持つ生命保険会社が、インターネット上で容易に確認できるレベルの一般的な労務の重大リスクを「知らなかった」「単なる事務処理のミスだった」と主張することは、社会通念上極めて不自然である。

2. 「障害者雇用」という特殊性と全社的リスクの回避

本件事案が一般的な労働問題と大きく異なるのは、被災者が「障害者雇用」の枠組み(特定求職者雇用開発助成金の対象)で入社していた点にある。

障害者雇用において、合理的配慮を欠いた身体的負荷を伴う業務によって就労不能(労災)を発生させ、さらに違法な退職処理を強行したとなれば、単なる個別紛争にはとどまらない。事業主の労働関係法令違反を理由とする 一定期間の助成金不支給措置や、対象労働者を事業主都合で離職させたことに伴う当該助成金の不支給および返還、さらには障害者雇用促進法に基づく行政指導など、企業としての社会的信用を著しく低下させる「全社的な経営リスク」に直結する。45

さらに、これらの全社的ペナルティを自らの管轄案件で発生させることは、現場担当者や人事部門にとって、社内における自身の立場を致命的に危うくする事態を意味する。したがって、会社側(担当者レベルを含む)としては、これら甚大な組織的ペナルティと自己保身を守るために、労働者が無保険状態等の深刻な被害を受けることを承知の上で、「業務による負傷(労災)の発生」と「それによる休業」という客観的事実そのものを、社内記録から何としても排除する必要があったと推認される。6

3. 客観的記録が示す「事実の不可視化(外形作り)」

このリスク回避の意図は、会社自らが残した文書によって明確に裏付けられる。

  • 「傷病欠勤」の記録排除と解雇制限の回避 労働者から体調悪化の申し出と診断書が提出されたにもかかわらず、会社側(支社総務部長)はこれを受理せず、「年休消化後のご退職(連続での傷病欠勤とならない)1なので、診断書は特に必要ありません」と文書で明記し、診断書を返送した。 労基法19条7の絶対的解雇制限の適用要件は「療養のために休業する期間」である。診断書を受理して「傷病欠勤」の記録を残せば、後に労災認定された際、法違反から逃れられなくなる。しかし、会社主導で「有給休暇の消化による退職」という外形に書き換えてしまえば、「本人は病気で休業したのではなく、有給を使って辞めただけである」という主張が可能となる。
  • 労働者死傷病報告の提出遅延 被災者が在職中に明確に業務による負傷を訴えていたにもかかわらず、会社は労働安全衛生法で義務付けられた「死傷病報告」2を長期間提出しなかった。最終的に労働行政からの要請により提出を余儀なくされた際にも、原因欄に「当社としては判断できません」と記載し、労災発生の認知を徹底して留保し続けた。

結論:客観的記録が証明する「意図的な法適用の回避」

「連続での傷病欠勤とならない」1というメールの文言と、1年以上に及ぶ死傷病報告2の不提出。一見不可解なこれらの対応は、「労災発生と解雇制限違反(労基法19条)7や、会社都合退職による助成金という、企業にとって致命的なダメージを回避するために、休業や労災の事実を管理記録上から排除しようとした」という視点に立つことで、初めて論理的な整合性を持つ。

三菱電機事件という先行事例の存在、障害者雇用の助成金リスク、そして会社自らが残した文書記録。これらが客観的に証明しているのは、本件の退職処理が担当者の過失によるものではなく、「客観的実態と乖離した記録によって退職処理が進行し、結果として労働者保護法規の適用が回避され得る状態となっている事実」 である。

Footnotes

  1. 連続での傷病欠勤とならない   2 3

  2. 死傷病報告の存在が意味する「最大の自己矛盾」と行政処理の破綻 2 3

  3. 住友生命勤労部_第二回回答書

  4. 労働行政の「判断停止」がもたらす助成金制度の死角

  5. 雇用関係助成金支給要領.pdf

  6. メールのCCにおける宛先変更とコンプライアンス部門の対応

  7. 労基法19条(解雇制限) 2