─ 法的根拠の欠如と「主観的見解」への終始

住友生命小山支社における「PCログオフ後の労働把握」問題に関し、同社大阪人事室長が2022年4月15日付で発出した公式回答は、企業側の論理的な矛盾を示す象徴的な記録である。

客観的証拠(WPIプロジェクト等)と厚労省ガイドラインを前に、論理的な説明が不可能となった同社が、最終的に客観的結果ではなく【主観的な推測】を公式見解として提示せざるを得なくなったプロセスを以下に検証する。

1. 労働者個人への責任の帰着:「〜と考えております」(主観的見解への終始)」

【大阪人事室長の公式見解】

「仮にPC遮断後にPCを用いない業務に従事したのであれば、その時間についても労働時間として自己申告することが可能であったと考えております。」(2022年4月15日付文書)

労働基準法および厚生労働省のガイドラインが使用者に求めているのは、労働時間の適正な把握と、実態との乖離が疑われる場合の「実態調査」の実施である。したがって、企業が公式に回答すべきは「調査の結果、労働の事実は確認できなかった」という【客観的検証の結果】でなければならない。

しかし、大阪人事室長が提示したのは「自己申告できたはずだ」という 会社側の主観(推測) に過ぎない。「自己申告が可能であったか否か」は、現場の人間関係や評価制度といった客観的環境に依存するものであり、遠く離れた大阪人事室長の「個人的な見解」は、免責理由にはなり得ない。

大企業の公式回答が、事実の提示を放棄し 客観的な実態調査を伴わない主観論に終始した時点で、同社の法的な説明責任は果たされていないと言える。

2. 「物理的可能」と「制度的可能」の混同

さらに特筆すべきは、同社自身が全社展開していた「WPIプロジェクト」の存在により、人事室長の 「可能であったと考えている」 という感想すら、自らの制度設計によって否定されている点である。

すなわち、労働者にとって残業を申告することは 「直属の上司の給与を直接的に減らす行為」 を意味していた。

この状況下で「自己申告は可能であった」と主張することは、制度的な阻害要因を無視し、単なる「物理的な動作としての可能性」のみを主張するものに等しい。

自社で 「申告が上司の賞与低下に直結する」 という制度的障壁を構築しておきながら、未申告の責任を労働者個人に帰する論理展開は、労働時間の適正把握の責任を使用者に負わせる ガイドラインの趣旨と完全に矛盾 している。

3. 自己申告制における「実態調査義務」の不履行

厚労省ガイドラインは、自己申告により把握した労働時間が実際の労働時間と合致しているか否かについて、必要に応じて「実態調査」を実施することを義務付けている。

労働者側から「PCログオフ強要と、その後の業務継続」という具体的な指摘があった以上、会社側が行うべきは「自己申告がなかったことの再確認」ではなく、同僚等へのヒアリングを含む「実態の解明」である。

しかし同社は、具体的な違法性の告発を前にしてもなお、「自己申告がなかった(と自分たちは思っている)」という一点を盾に、ガイドラインが定める調査義務を放棄した。客観的な実態解明を伴わない「調査なき否定」は、同社のコンプライアンス体制の 実効性に重大な疑義を生じさせるものである。ミセス裁判判例に刻まれた手法  


結論:客観的説明の限界がもたらした「組織的論理の帰結」

なぜ大阪人事室長は、このような客観性を欠く「推測」を文書に記さざるを得なかったのか。

理由は明白である。客観的な労働時間管理(PCログ)と実態との乖離を突きつけられ、さらに「WPIプロジェクト」という申告抑制のインセンティブが機能し得る構造が明らかになった結果、もはや客観的な反証(実態調査による否定)が不可能となった結果、 「労働者本人が自己申告しなかったこと」に責任を転嫁する 以外に、主張を維持する論理が残されていなかったと推認される。

2022年4月15日の回答書が示したのは、法的根拠を欠いた主観的な主張の繰り返しであった。この文書は、客観的証拠を前にした企業の防衛論理がいかに脆弱なものであるか、そしてガバナンスが実効性を失っている現状を如実に示す構造になっている。