―― 離職証明書等の発行遅延と「本人署名欠如」が示す行政審査の形骸化
一般社団法人 日本経済団体連合会https://www.keidanren.or.jp/policy/2021/078_honbun.html
No. 46. 雇用保険各種通知書(被保険者通知用)の電子化
日本経済団体連合会(経団連)は、『2021年度規制改革要望(令和3年9月14日)』のなかで、「雇用保険手続における各種通知書の電子化(労働者がマイナポータルで直接確認できる制度への変更)」を政府に提言した。 その理由として、現行の「事業主を経由して労働者に交付する仕組み」は事業主の負担となるだけでなく、 「誤発送・誤送付・遅延リスク」 があり、労働者にとっても不便であるとしている。
本件事案においては、まさに同会が本要望を提出・公表した時期と同時期(2021年8月〜9月)に、会社主導による退職処理に伴い、離職票の発行が1か月以上遅延するという事態が発生している。企業が離職証明書の発行手続を遅滞・操作することは、労働者に対して以下の具体的な法的・経済的不利益をもたらす。
1. 失業等給付へのアクセス阻害
厚生労働省の『雇用保険事務手続きの手引き』1には、「事業主が届出を怠ったり、遅延したために離職票の交付が遅れた場合には、離職した者が基本手当(失業給付)を受給するにあたり極めて不利益な状況が生じますので、必ず期限内(離職日の翌日から10日以内)に届出を行うように」と明記されている。 離職票は、労働者が公共職業安定所で求職の申し込みを行い、失業等給付を受給するための法定要件である。当該書類の発行が遅延する期間、労働者は給付へのアクセスを絶たれ、生活基盤の維持に重大な支障をきたすこととなる。
2. 社会保険制度上の手続遅滞と不利益
離職票や退職証明書等の未発行は、雇用保険の手続にとどまらない。退職した労働者が国民健康保険や国民年金へ種別変更の手続を行う際、あるいは家族の被扶養者となる際にも、資格喪失の事実を客観的に証明する書類として提示が求められる。 本件事案のように、労働者が傷病による通院加療を継続している状態において、手続に必要な証明書の発行が遅延することは、一時的な無保険状態や医療費の全額自己負担といった経済的リスクを発生させ、療養環境そのものを脅かす結果となる。
3. 「本人確認(署名)」を欠いた手続の強行と行政審査の形骸化
さらに重大な手続上の瑕疵として、本件事案で発行された離職票には、必須要件である「離職者本人の署名」が欠落したまま行政処理が進行している事実が存在する。
『雇用保険事務手続きの手引き』1においては、離職証明書の作成にあたり、事業主が記載した離職理由に対して「離職者の判断(異議の有無)」を確認させ、本人の氏名を記載(署名)させることを厳格に定めている。これは、事業主による一方的な離職理由の操作を防ぎ、労働者の受給権を保護するための不可欠な法定プロセスである。
会社側は公式見解において「双方合意の元での退職である」と主張しているが、真に合意が成立しているのであれば、法定要件である本人の署名を得ることは容易なはずである。署名が存在しないという客観的記録は、会社側の主張する「合意」の存在そのものに強い論理的矛盾を生じさせる。 ⇒「合意退職」という大前提の完全破綻
加えて看過し難いのは、管轄の公共職業安定所(ハローワーク)が、本人の署名という重要な要件を欠いた離職証明書を漫然と受理し、事後的な事実確認や指導を行うこともなく、事業主の主張する「自己都合退職」という一方的な記載をそのまま追認して離職票を発行した事実である。2
結論:要望書が証明する「事業主経由手続」のリスクの顕在化
経団連の要望書は、「事業主を経由すると遅延リスクがある」と現行の雇用保険手続の構造的課題を的確に指摘している。本件事案において発生した1か月以上に及ぶ離職票の遅延3と、本人署名を欠いたままの処理の進行2は、まさに同会が指摘した「事業主を経由することによるリスク」が、特定の労働者に対する不利益として最大限に顕在化した実例である。
労働関係法令上の権利行使や労災の主張等において労使間に認識の相違が存在する局面において、事業主を必ず経由しなければならない現行の行政手続は、結果として労働者側の迅速な手続移行を阻害するのみならず、「企業による一方的な事実認定(自己都合退職)」を行政が形式的に追認するという制度の空洞化を招き得る。 政府に対して制度改革を提言する中枢企業において、自らが指摘した制度的課題が同種の不利益として実証されている事実は、企業のコンプライアンス管理における重大な自己矛盾として、客観的な検証が求められる事項である。